プロフィール

「プロフィール」と「私の起業ストーリー」

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株式会社マーケティングフルポート 

代表取締役 仙道達也

■「ブログ×メルマガ」を利用した”クライアント獲得”集客コンサルタント
■ブログ、メルマガを使った「差別化」と「集客仕組み化」を最も得意とする、また「web初心者15,000人以上」をサポートした経験ありweb初心者に対して、”具体的”で”わかりやすい”説明が可能
■自身で作成したセールスレターからの売り上げは「2000万」を超える。わずか7日で見込み客 9,155名を集め、その後3ヶ月で「3300万」以上の売り上げを達成
■ 現在まで32名以上のクライアントが主にwebを使い「売上100万~2000万以上UP」に成功

 

マーケティングノウハウを惜しまず、具体的に公表しまくるスタイルを貫き、「0からライバルと差別化するブログ作り」をメインに指導。そして、web初心 者15,000人以上をサポートした経験から得た、初心者向けに「わかりやすいマーケティング解説」が注目を集めている。
ミッションはコーチング、コンサル、セラピーを日本に普及させ、各個人が「社会的自由」と「個人的自由」を獲得すること
趣味は、バンドや音楽、カフェめぐり など。 

 

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仙道の起業ストーリー

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~自分はふつうの人間、学生時代も目立たないキャラ~

 

 
 
1984年8月2日 大分県日田市に生まれる。父親はサラリーマン、母親は専業主婦、ふつうの家庭だった。親からは「ふつうの家庭に育ち、ふつうの子供として生まれた」と言われている。
 
だから、僕は「何の特技も持たない”ふつうの人間”」というセルフイメージを持って子供時代を過ごした。
 
 
ただ、記憶に残っているのは親からは「欲しい物はなんでも」買ってもらえたことだ。
 
3人男兄弟の長男として生まれたので、母親は「かわいがり過ぎて甘やかし過ぎた」と言っていた。自分でもかなり、「甘えた性格」に育ったと思う。そして3人男兄弟の長男のため、プライドは高くなり「常に自分が一番」でないと、気が済まなかった。
 
ただし、それは家の中だけ、外に出ると大人しい性格のため,積極的な言動や明るく振る舞うことは苦手だった。イジメまではいかないが、言い返せないのでよくバカにされるような子供だった。
 
 
 
そんな状況は中学、高校まで続く・・・  高校時代はホント、「思い出に残る記憶」がほとんどない。 モテるワケでもなく,勉強できるワケでもなく,スポーツができるワケでもない。とにかく僕は自分に自信がなかった。授業中は先生に刺されるのが怖く、ビクビクしていた時期さえあった。
 
そして、高校時代も友達があまり多くなかった。当時の僕は、「1クラス40人」の中で”特に目立たない最下層”に入るようなキャラ。そんな状態だったので、学校にいくのが楽しくなかった。だから僕はよく学校を休んでいた。

 

 

休んだ次の日、学校に行くと、友達に言われたことがある。”このセリフ”は一生忘れない。
 

「お前が休んでもクラスは何も変わらない。存在感のない奴だな・・・」 

 

 このセリフは当時、プライドだけ高く自信がなかった僕にはかなり突き刺さった。ショックだった。ホント悔しくて家に帰って泣いた。そんな自分が情けなった。

 

この頃は「回りから必要とされてない、存在していても意味がない人間なのでは!?」と何度も自分を疑い、 「高いプライド」と「現実」のギャップに苦しんだ。当時、性格に余裕がないため、唯一付き合っていた彼女にもフラれて、残りの高校生活が毎日苦しくなり、台無しになった。
 
「今までの人生の中」で最も時間を取り戻したいなら、それは「高校時代」だろう。 それぐらい僕は「楽しい時間」をムダにしてしまったのである。
 
 
このような学生時代が続いため非常に辛かったのだが、心の裏側で「野望」が芽生えていた・・・・
 
「世の中から”認められる存在”になりたい・・・」
「自分を小バカにしてきた奴らを、全員見返してやりたい・・・」

 

でも僕は“ふつう”の存在感のない人間。そんな僕がどうしたら「世の中に認められる存在」に生まれ変われるのか? くやしくて、くやしくて、しょうがなかったので必死に考えた。

 

ふつうに大学に行って、ふつうに会社員になる。それでは人を見返せないので、もっと「人と違う道」をいく必要がある。
 
 
そして、必至に考えた末に「1つの小さな希望」が出てきた。自分が最も得意だった「音楽」を使うしかない。僕が当時、人より少しだけ優れていたことは「音楽」だった。幼稚園から、なぜかピアノをはじめていて、高校の頃はドラムが人より得意だった。
 
「ココで大学に行っていたら、ふつうの人間で終わってしまう」
「絶対に東京で成功していやる!そして地元に帰ってくる!」
 
そう自分に誓い、進学校の高校で進学クラスであったが、1人だけ「音楽の専門学校」に行きたいと、担任、親を説得させる。この時、はじめて「夢・目標」が見えてきた。
 
そして、僕は高校卒業と同時に、「プロミュージシャン」になるため東京に上京するのである。

 

 

 

~ミュージシャンを夢見て上京、しかし待っていたのは「挫折の連続」~


はじめての東京、はじめての1人暮らし。「希望」と「やりたい事」で胸いっぱいだった!
 
「憧れのプロミュージシャンになれば、世の中から認められる、自分をバカにした奴らを見返せる!!」
 
当時は音楽の専門学校に入学して、「自分のやりたい事」をやりたいだけやった。悔しさをバネに、人の数倍練習していたのでドラムの腕もドンドン上達していった。
 
しかし、当時も僕は「プライド」は高いけど、自分に「自信」がない。「理想」は高いが、「セルフイメージ」が低い。「弱い性格」は簡単には変わらなかった・・・
そんな青年なので、学校の友達やバンド仲間とよくケンカした。「アイツは自意識過剰」とよく陰口を言われた。陰口をウワサで聞いてしまい、家で1人で泣く日が多かった。この頃は高校時代以上だったかもしれない・・・ 
 
自己啓発や心理学の本を読みだしたのはちょうどこの頃だった。

 

専門学校を卒業した後は、「フリーター」と「バンド」の毎日を過ごす、、、、バイトをしながら「小さなライブハウス」で活動する。僕は「ライブの日」が何よりも楽しみだった!わずか20人~30人のお客さん、ほとんどが「バンドメンバーの友達」や「知り合い」。それでも自分が称賛され、認められることが何よりも快感だった!

 

 一方で「自主制作したCD」は、まったく売れない。音楽活動をしていると「スタジオ練習」や「楽器」にお金はどんどん無くなっていく。 

 

「自分はビジネスとして、音楽をやりたいんだ!!」 どうしても、高校時代に自分をバカにした奴らを見返したかった。僕はそのために有名になる必要があったのだ。 しかし、バンドのメンバーは「売上」より「やりたい音楽」を優先する。芸術家は基本みんなそうだ。

 

そのため、バンドメンバーとは何度も衝突する。ケンカは日常茶飯事だ。 それでも「自分が本当にやりたいこと」だったので、音楽は長く続けることができた。売上は「ゼロ」だったが、夢や希望は両手いっぱいに存在した。

 

 

僕は色々なバンドを出たり入ったりで、気が付けば24歳になっていた。
 
努力した分、サポートドラマーとして、仕事を自分で得て「日給」をいただける状態になれた。しかし、「半分フリーター」「半分ミュージシャン」という生活。「ミュージシャンの収入」だけでは、とても生活できない。
 
 
当時、僕の頭に浮かぶのは「本当に音楽で成功したいのか?」「別に音楽以外の可能性もあるのではないか?」という葛藤だった。 音楽以外の可能性に賭けてみたくなったのである!
 
当時のバンドメンバーに相談した。もちろん、「バンド脱退」などは、猛反対されることを知っていて・・・
 
 
「お前バンド辞めても、いいことなんて1つもねえぞ!」
 
 
これが、バンド活動の終わりを告げる「メンバーから送られたセリフ」だった・・・  
僕は25歳でバンド活動を一切やめ「起業の道」を志したのだ。
 

 

~PCコールセンターで「2度のうつ病」「起業・副業」はすべてが失敗~

 

バンドを辞めた僕は、派遣スタッフとして「PCトラブルのコールセンター」で働くことにした。なぜかというと、起業するため「PC」に強くなりたかったからだ。さらに「ビジネス会話」も身に着けられるので、未経験だったが応募することにした。
 
そして、なによりも、僕は当時「器用」になりたくて、しょうがなかった。 
 
それには明確な理由がある。以前「データー入力のバイト」をしていた時
 
 
「お前ほど、不器用な奴はみたことない しょうがなく雇ってあげているだから、ありがたく思え」
 
 
と、責任者に言われた、シフトを半分以上削られたのだ。この時は、怒り狂いそうになった。そして「自分の不器用さ」がイヤでイヤで心が折れそうだった。
 
それだけ僕は「PC」や「仕事」に関して不器用だったのだ。起業するためには「不器用な自分」にサヨナラをつける必要があり、PCのコールセンターは絶好な修行の場所だった。

 

結論から話すと、「コールセンターでのオペレーターの仕事」は「人生でトップ3」に入るぐらい恐怖を感じた。大勢の前でセミナーやったりライブをやったりする方が、まだぜんぜん恐怖を感じない。

 

「いきなりクレームが来たら、どうしよう・・・」「自分の知らないPCトラブルを聞かれたらどうしよう・・・」「お客さんが早口で、聞き取れなかったらどうしよう・・クレームになったらどうしよう・・・」 考えると”終わりのない恐怖”が襲ってくる。

 

週5日、毎朝「吐き気」を感じながら、満員電車で出勤していた記憶がある。今思い出すだけでも、気分が悪くなってしまう。 「電話のベル音」が鳴るたびに「条件反射」で恐怖が襲ってくる。それは今でも完全には消えてない・・・   
 
そして、「理不尽なクレーム」「難解なPCトラブル」「話を聞いてくれないお客さん」 
トラブル続きの電話対応をこなす日々に突入。
 
「お前の所と契約したのに、トラブル続きじゃね~か、今すぐ改善できないなら、金返せ!」 
「今すぐ、このPCのトラブルを解決してよ!でないと、解約するから」
 
こんな電話は、毎日当たり前。 人間不信に陥る。  
 
 
同期で入社した仲間は 3ヶ月で半分がやめ、半年で7割が辞め、1年経過すると8割近くが辞めていた・・・ それがふつうらしい。  
僕も毎日 「辞めたい、辞めたい」「でも、絶対に、器用になり、起業してやる!そのための財産をココで身に着けるんだ!」と、自分 にムチをうち、頑張り続けた。   
 
 

ある日の朝、ベッドから起きれなくなった。 どうやら精神的に参ってしまったようだ。派遣の担当の人に相談すると「心療内科に通ってください」と言われ、病院へ。 そこで診断されたのは「うつ病の為 1ヶ月休養必要 」だった。

 

その後、退職して他のコールセンターにも行ったが、結果は同じだった。「2回目のうつ病」⇒「退職」という流れ。   

 
コールセンターで働いている間、僕は知人に誘われた「ネットワークビジネス」に参加したり、ネットで見つけた「アフィリエイト」「せどり、転売ビジネス」にも手を出した。しかし、コールセンターでのストレスも手伝い、どの副業も「2週間」続かない。さらに「教材代」や「高額起業塾」などに投資して借金が200万円を越えてしまった。
 
この頃は、現実から逃げたくて、本気で「大分県の実家」に帰ろうと考えた。
 
「自由になりたい 自由になりたい 自由になりたい」  僕はいつも、そうつぶやいていた・・・・

 

 

 

~「学歴」「資格」「職歴」すべてナシ 「あなたの歳で就職は難しいですよ」~

 

コールセンターを退職した僕は「副業・起業で食っていくのは難しい」と悟り「一般企業」に就職することを考え始める。当時、僕は27歳になっていた。「もうコールセンター以外の仕事だったら、なんでもよい!」と思った僕は、色々な仕事を探していた。そして、就職先を紹介してくれる「民間企業」に面談を受けにいった。
 
そこで言われたことも、いまだに忘れられない、、、、
 
「あのね~正直言って 学歴なし、資格なし、職歴なし、だと あなたの歳で就職は難しいですよ」
 
僕は、またもや「絶望の淵」に落とされた・・・
 
これまで「売れないミュージシャン」と「バイト、派遣」のみで生きてきたので、僕は「学歴」「資格」「職歴」も”ゼロ”だったのだ。
 
この面談をしてくれた人は、正しいことを言っていた。
 
「そんな状態の僕」をどこが喜んで雇ってくれるというのだろうか??正しいことを言われたので、僕は「怒りのやり場」がなかった、「無力さ」を感じて辛かった、苦しかった・・・ 
 
その場で泣きそうになったが、グッっと我慢して涙をこらえた。もう自分は一生フリーターで生きていくんだと悟った。家も買えないかもしれない。結婚もできないかもしれない。その日は、泣きながら「絶望的な未来」をイメージせざるえなかった。 
 
「本当にこのままで、俺の人生はよいのか?まだ、できることは何かないのか?」 
 
 
嫌々コールセンターに戻った僕は、毎日自分に質問した。答えが出てこなくても、質問を続けた。 
 
 
 
すると、こんな答えが返ってきた・・・
 
 もう、お前に逃げ道はない、 起業するしかない」 と ・・・
 
 そして、僕は28歳の春に「起業するという選択肢以外は全て捨てる覚悟」を決めた 
 
この時、”何か”が変わったのを、今でも覚えている。
 
 
 
 
~最後の希望はコーチング起業!?だけどブログを書いても申込が来ない!?~
 
 
「もう、副業・起業は何やってもダメだ」 と一度はあきらめた僕だった。しかし、「最後の希望」として残しておいた物があったのだ。それはコーチング起業。僕はバンドで上手くいかない時から「自己啓発の本」をよく読んでいた。佐藤富雄、ナポレオンヒル、アンソニーロビンス、苫米地英人。そして、密かに「コーチングは自分に向いている!」と思っていた。 
 
 
 だけど「コーチングなんて資格を取得しても売れない・・・」と無意識にあきらめていた。だから「アフィリエイト」や「ネットワークビジネス」などの「稼ぐ系」に走ってしまったのだ。  
 
だが、もう後がない。コールセンターにこのまま残るのだけはイヤだ! 「最後の希望に賭けてみたい!」 そう強く想い、僕は今まで触ったことのなかったアメブロを始めた。「コーチングの資格」は取得しても意味がないと思っていたので、コールセンターの「実戦で身に着けた能力」でやる覚悟を決めていた。この時まで換算すると15000人以上の顧客をサポートをしていたのだ。    
 
当時流行っていた「目標達成コーチ」というジャンルでアメブロを開始する。最初に決めた肩書きは「ノウハウ実行コーチ」だった。「ノウハウを実行に移せる手伝いをしたい」という想いで作った肩書きだった。「これはイケる!」となぜか変な自信が僕にはあった。今思えば、「なんちゃってコーチ」だ・・・
 
最初は書いても書いても、「コメント」もない、「セッションの申し込み」もない。 それまで28年間ブログを書いたことがない男だったので、「何が正解なのか?」がまったく見えてこない。そもそも、ブログを1記事書くのに、2時間以上必要だったのだ。これは辛かった・・・
 
 
「ブログのタイトルは正しいのか?」「プロフィールが間違っているのか?」「アクセスアップの裏ワザがある?」「そもそも、共感を狙わないとクライアントは獲得できない?」 などなど、webマーケティング本、ブログ集客本を何冊読んでも「確信」は得られなかった。当時は、ブログからクライアントを獲得することが、「まるで雲をつかむような話」に感じた。

 

「成功していると自称するプロコーチ、コンサル」に何人も会いに行った。だけど「誰が本当のことを言っているか」を判別できる力は当時の僕になかった。 みんなウソをついているように見えた。「プロコーチ、コンサルで月収100万稼いでます!」みたいな人が当時多かったのだ。今振り返ると、ウソをついている人も多かった。だから余計混乱した。 

このままだと、過去に失敗した副業と同じように「借金だらけになり、失敗して終わる」という悪夢が頭をよぎった・・・

だけど「ブログで集客する以外、方法がない。何としてもブログで有料クライアントを取る!」と自分に言い聞かせて、ブログを書き続けた。もうここであきらめたら、一生起業はできない、永久に後悔する・・ そう自分に言い聞かせて踏ん張った。ここで逃げていたら今の僕は絶対に存在しなかっただろう・・・

 

 

 ~コーチング料は”たった5000円”先が見えずブログタイトルを8回以上変更~

 

後がなく 困った僕は、なんとか友達にモニターになってもらい、2回セッションして「5000円」を獲得することができた。この「5000円」が僕の「最初のコーチン グフィー」だった。 
 
 ただし、1人、5000円では会社を辞めて独立するなどできっこない・・・
 
 
さらに200万の借金返済が毎月追っかけてくる。ギリギリの収入で毎月を回す状態。今だから話せるけど、勢いで一度会社を辞めた時期があった。だけど生活できず、週4日夜勤のコールセンターでまた派遣に戻ってしまった。
 
この時期は、夜は20時~翌9時まで働いていた。その後、夜勤後の朝から低額料金で契約したクライアントさんと家でスカイプでセッションする。さらにブログ、メルマガなども書きながら、1日があっと言う間に過ぎていった。体は毎日クタクタだった・・・ 
 
このハードなサイクルの中で僕は、「ブログ、メルマガの差別化」と「webマーケティングの仕組み作り」に没頭した。ブログの差別化」は答えが見えなかったので、約7カ月の間に「肩書き、ブログタイトル」を8回以上変えた。毎月、反応を見ながらポジションを変えた。
 
「いつになったら、完璧な差別化が完成して、月収100万を超えるのだろうか??」先が見えない真っ暗なトンネルを、ビクビクしながら進んでいる感覚を感じていた。
 
 

 

~ついに「差別化」と「集客仕組み化」が完成!生まれてはじめての「月収100万」を達成!~

 

 

僕は「コールセンターのストレス」、「時間」、「借金」などに追われながらも「ブログキャッチコピー」、「ライバル調査」、「USPの完成度」、「自分の強みの洗い出し」、「プロフィールの練り込み」、「ステップメールの完成度や登録率」、「メルマガの質」、「WordPressのSEOやSNSとの連携」、「セミナー集客や企画方法」、「セミナーからのセールス」、「対面のクロージング」、「高額商品作成」、「PPC広告やフェイスブック広告」など、できる限りのことは検証、改善を必須に続けた。おかげで少しずつweb集客の数字は上げていった。この頃は、とにかく会社を辞めるために必死だった・・・

 

8回以上も「ブログタイトル、肩書き」を変更して、最終的に落ち着いた差別化は「web苦手コーチ、コンサル向け、具体的でわかりやすい集客講座」というポジションだった。まさか、苦しかったコールセンターでの「web初心者15000人対応」の経験がココで生きるとは思わなかった。 

 

結果的にこの差別化は大成功だった!高額塾や他のコンサルを受けても「PC苦手でついていけないコーチ、コンサル、セラピスト」が大量にweb上に存在したからだ! ポジションがハッキリ決まった約4ヶ月後、僕は月収で「120万以上」を達成していた!その後、完全にコールセンターの夜勤をやめることができた! 

 

自由になった僕は、その後も油断せず、「月収100万」、「月収200万」、「月収300万」と売上を伸ばしていった。毎月返済が苦しかった借金200万円も、あっとう間に返済できた。 

起業2年目に入ると、クライアント数は「最大で38名」を超えていた! 他から見ると、大変そうに思われるが、コールセンターでの仕事に比べて「人の成長」が近くで見えるので本当に幸せだった。1日6人コンサルが連日で続くこともありストレスで腰を痛めたが、雇われて働くよりもあきらかに幸せを感じていた。

この時期は、 生きている中で最も「自由」を感じることができた!「朝イヤイヤ起きなくてよい!」「どこに行くのも毎日が自由、旅行先で仕事もできる!」「今まで買いたかった物も、ほとんどが買える!」 僕はそんなライフスタイルを手に入れることができたのだ!

 

ただ、1つだけ「やらなければいけないミッション」が残っていた。
それは「自分」だけでなく「クライアントさん」を成功に導くこと・・・
 
他の売上だけ自慢するコンサルにはなりたくなかった。同じに見られたくなかったプライドもある。
それには「再現性の高い実践的ノウハウ」をしっかり提供して、クライアントさんに結果を出してもらうことだった・・・

 

 

~クライアント24名以上が「売上100万~1000万以上UP」を達成!夢だったマーケティング塾も開催でき「月商1400万以上」を達成!~

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僕は、必至になって作った「差別化×集客仕組み化」をクライアントさんに細かく伝授しまくった。すると、コンサルを受ける前は「webからクライアントを獲得したことがない人」がほとんどだったのに、次から次へとブログ、メルマガ、セールスクロージングで高額契約を獲得できるようになったのだ!! これには自分が一番びっくりした!!

■ブログを継続できなかった女性コーチが「ブログ×メルマガ」を継続できるようになり9カ月で「700万以上」の売上を達成!

■ブログ収入が月「3万」から、1回のコンサルで1ヶ月後に「33倍」にアップ!約2ヶ月後に売り上げ「200万以上」を達成した「スピリチュアルカウンセラー」

”1回のコンサル”で1ヶ月後に月「400万」以上達成した、「せどりコーチ」

■メルマガを始めて9ヶ月目にweb収入のみで「1023万」達成したセールスコーチ

■「0」からメルマガで販売を始めた、「女性メンタルダイエットコーチ」がコンサル期間中に「セッション申込み68件」「クライアント19名」獲得!その後、半年で「500万以上」達成!

■個別NLPセッションを販売開始後、1ヶ月目で「320万分の契約」を獲得した「NLPトレーナー」

■webからのクライアント獲得0だった目標達成コーチが、クライアントは5人契約し、4ヶ月目で「月289万5000円」を達成!

■婚活コーチがコンサル4ヶ月目でブログ、メルマガで「月300万」以上を達成!

マーケティングコンセプトを変更後「120万、150万の契約」を紹介で獲得した経営コンサルタント

その他、省略
 
 
 
振り返ると、約2年で「24名以上のコーチ、コンサル、セラピスト」が「売上100万~1000万以上UP」に成功したのだ!!
 
コンサル期間終了後の売上を見ると、年商1000万、2000万を超えるクライアントさんも複数誕生した。

 

自分だけ成功しても、正直楽しくはなかった・・・でも「クライアントの成果」は僕にとって「喜びの財宝」だった。
 
「なぜ、そんなに結果がでるのか?」と僕より売上が高い人からもよく聞かれることも増えた。
 
 
僕は「学歴なし、資格なし、職歴なし」だったのコンプレックスが強かった。だからこそ、「他のコンサルより実績だけは作らなくては」と追い込まれて頑張っただけかもしれない。
それと 「 ヒアリング、質問力 解説力」 などは、僕の場合「実践経験」が大きい。  
 
 
そう、その「実践経験」 とは だたの派遣スタッフとしてイヤイヤ働いていたコールセンターでの経験のことだ。 
 
 
150000人の方をサポートさせていただいたおかげで、無意識に身に付いた物であった。 本当によかった。
生きている中で、トップクラスに苦しかったが、今でも一番生かされている能力だ。 
 

 

~ そして、今後のミッション・ビジョン「2種類の自由」とは!? ~

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僕は、ちょっと前に比べたら「小さい成功」を手に入れて幸せになれた。
でも、ここまで、振り返ってみると、自分の人生の9割以上は失敗の連続だったなあと思う。
 
・学生時代は「プライドの高さ」と「自信のなさ」で苦しいギャップ
・ミュージシャンで成功を夢みて上京するが、失敗の連続
・コールセンターで苦しみ「2度の鬱病」、トラブル、クレームの連続
・副業・起業、どれをやっても継続すらできず・・・「借金200万」まで膨らむ
・「学歴」「資格」「職歴」ナシで、もう就職できないという絶望、無力感を味わう
・ブログ集客しても反応が出ない。時間も限られていて、やる気も起きない。
 
今振り返ると
逃げてきた苦しみもあるし、立ち向かった苦しみもあった。
 
どっちにしても「まだまだこんな苦労では足りない」と、本気で思っている。
まだ、コンサルタントとして実績も経験も浅い。これから数倍伸ばしていかなくては・・・
 
 
そして
そんな僕が、今までの経験を通して生まれた「ミッション・ビジョン」がある
 
 
 
それは   ”個人的自由”と”社会的自由”の統合
 
 
 
 
ちょっと、わかりずらいかもしれない・・・
 
 
「個人的自由」とは
 
起業して自由になりたい、縛られたくない
好きな場所、好きな人、好きな仕事で生きていきたい!
 
 
僕はこのような願望が強かった、ミュージシャンとして成功したかったのは、主にそのためだ。
 
 
 
しかし、それだでは「何かが不足している」と考えはじめた。
 
「自由な個人」を増やしたとしても、それで本当に満足だろうか?
 
死ぬ直前に100%満足するだろうか?
 
 
 
イヤ、違う・・・・ それだけでは違う・・・
 
 
そこで「社会的自由」のミッションが生まれた。
 
 
 
「個人的な自由」だけでは、1人よがりの起業家を生み出すだけだ。
 
 
社会的自由というのは
社会的に「権威」があり、「己のプライド」をかけて、世の中を変える「プロ、専門家」に
 
与えられる自由のである。
 
 
つまり、ただの自由ではなく、 「世の中から頼られるプロ」に
 
 
この領域は、僕自身が目指しているし
そのような個人を大量に育成することも目指している。
 
 
2種類の自由を 統合 したも
 
 
大きな力が生まれると信じている。
 
 
大いなる夢に向かって前進していきたい。
 
 
 
 以上です。
 
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、これからも頑張ります。

 

仙道達也

2015年10月1日 東京・恵比寿のオフィスより

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