実は多くの方から同じようなリクエストをもらっています。そこで、ここでは副業時代に死にそうになった状態からV字回復して1億円を稼ぐまでにやったことを紹介します。
副業や起業したけど成果にまだ繋がっていない方にとっては、稼いでいる今の話よりも何をやってきたから今の状態があるのかを知りたいようです。包み隠さず公開するので、最後まで読んでいただき、あなたのビジネスにおけるヒントにしてください。
仙道竜也が副業時代に一番苦労したこと
「起業当時、最初の頃何してましたか?」これは今でも聞かれる質問です。
仙道塾の中でも、毎年6割近い方が私に聞いてくるくらい、最初に何をやったのかを知りたい方が多いようです。
特に苦労した話はなぜか大好きなようなので、苦労話も合わせて紹介します。
私が副業時代に一番苦労したこと、それは夜勤のコールセンターにいながらコーチングをやっていた時の話しになります。
当時はコールセンターに2年ほどいたのですが、朝9時から18時までの昼番と、12時から21時までの遅番がありました。(コールセンターはこれくらいの時間帯が多いものです)
それで週5日を派遣スタッフとして行っていました。
昼番(朝9時~18時)までの時は、夜帰ってコーチングしたりメルマガやブログを書く時間があったので良かったのですが、遅番の時が最悪でした。
昼12時スタートだったので11時過ぎには家を出なくてはならず、そうなると朝早く起きなくてはいけないのですが、私は朝が弱いタイプだったので、なかなか出来ませんでした。
朝早く起きて作業をしたかったのに、9時や10時に起きて結局何もできずにコールセンターの仕事に行く準備しなくてはいけない状態でした。
加えて、コールセンターは土日も仕事があったので、副業の時間を安定して確保することができない日が続いたわけです。
シフトをある程度出せるところもあったのですが、私としては働きづらいなと感じていました。
今考えれば、夜の時間帯にまとめてやるという手もあったわけですし、土日休みを取って上手くやることだってできたなと思います。
結局、一番環境が良いところに行かないと駄目だなと思い、夜勤のコールセンターに行くことを決めました。
夜勤のコールセンターは体力的にとてもキツかったのを今でも覚えています。
夜20時から朝9時までぶっ通しで電話対応をしてました。
実際に電話が鳴ることはあまりないのですが、何度も言ってしまいますが体力的に夜勤は本当にキツイと感じていました。
夜勤の後に副業をやる時間を確保した
夜の20時~21時にコールセンターの仕事がスタートして、朝の9時まで仕事を行い、帰宅して朝10過ぎからメルマガやブログを書いたり、コーチングを行ってました。
副業活動を終えて寝るのが昼14時や15時、そして18時半頃には起きてまたコールセンターの仕事に行く生活をしていました。
そうした生活を週4でやっていました。
良かったなと思ったことは、週5じゃなかったことです。
通常、コールセンターの時給は良くて1,500円ほどですが、夜勤のコールセンターは時給1,600円~1,700円と高めの設定です。
しかも拘束時間も夜から朝までと長いので働く時間を減らしながら収入を減らすことをせずに過ごすことができました。
もちろん、負荷はかかりまし、私自身も死にそうになりながらやっていました。
それでも副業に集中できる環境に自分の身を置くことはとても大事だと言えます。
当時は夜勤明けでダルさと戦いながらブログやメルマガを書いていたわけですが、書けば書くほどアクセスも増えていましたし、募集すればするほど沢山のお客さんも体験セッションに来てくれていました。(当時はアメブロをやってました)
大変な思いをしながらやってましたが、そうした反応をもらせることが楽しかったからこそ、続けることができたと振り返ってみるとわかります。
数字が上がっていったり、小さな反応でも出るのを糧にして続けることができました。
なので、今の環境が副業に集中できないと思うのであれば、副業に集中できる環境に変えることは、ものすごく大事だと今も思っています。
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副業に集中できる環境に変えられた理由は価値観にあった
環境が良くなくて副業が上手くいきません!
そうした相談は私の元によく届く声です。
ここで言えることは、環境を変える努力をしてますか?ということ。
私自身が、何で環境を変えることができたのか、理由をお伝えすると次のようになります。
これが環境を変えられた答えです。
詳しく解説すると、会社員でいたとして、給料が増えたとしても、少しづつ増えたとしても、それは「いらない」っとはっきり区別させっていたということ。
何が欲しくて、何がいらないのか、自分の向かいたい先から逆算をして、環境を変えるための選択肢から決断をする要因にしてました。
私の場合は、お金じゃないと、お金があっても幸せじゃないと考えていました。
大事なことは自由だなと強く感じていました。
今振り返ると、私の考える自由は3つありました。
- 経済的自由
- 人間関係の自由
- 働く場所と働く時間の自由
この3つが揃わないと、私は生きていても楽しくないし、生きてる意味があるのかなと思えるくらいに、強い価値観になっていました。
当時はここまでの言語化はしてませんでしたが、気持ちとしては明確でした。
別に今の会社に行って出世するかもしれないけども、「いなくていいや」「環境変えてもいいや」と自分の中で意思決定を決める強い要因になってました。
ここまで価値観がハッキリしている人は、環境をいろいろと変えられる人だと思います。
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あなたの価値観をハッキリさせて副業に集中する環境を手に入れる
苦労をしたとしても、その環境に望んで入れるわけなので、その時点で強い意思を働かせられるからです。
私は早く副業時代を抜けて起業したいと思っていたので、副業を頑張る時間を早く終わらせたかったのも行動に繋がった理由の一つです。
環境を変えるのも、一時的な環境の変化だと、目的を達成するために必要な時期なんだと割り切って行動したことも、今の私を作ったきっかけだったかもしれません。
もしあなたが、環境の変化ができず悩んでいるならば、何を捨てていいか、何を得ようとしているのかを明確にしてみましょう。
苦労はするかもしれないし、楽な道ではないかもしれませんが、行きたい方向に進むからこそ見られる景色も存在しています。
そのためには、やはり価値観を明確にしておかなければ、環境を変えるのは恐怖で終わってしまいます。
同時に、家族が反対する、会社が反対する、友人が反対するというケースも出てくるはずです。
その時、周りの声に惑わされることなく、自分の価値観を基準に行動できるかどうか。
私は昔バンドをやっていましたが、バンドを辞める時に周りから強く反対されました。
「就職とか起業したいんだよね」と言ったらバンドメンバーから「就職したり起業しても絶対いいことねぇぞ」と言われました。
この時に周りの声に同調して「やっぱそうだよね」と価値観を無視した行動をしていれば、何も変化を手に入れることはできません。
周りと違う道に踏み出そうとすれば、絶対に反対意見と遭遇します。
その反対にあっても、それを乗り切れるかどうかは、結局自分のゴール・ミッション・ビジョンから来る価値観しかありません。
価値観の明確化が出来ているかどうかで、迷いが無くなります。
ぜひ今の自分と向き合い、ゴール・ミッション・ビジョンを言語化してみましょう。
今を変える一歩に繋がります。
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まとめ
私自身、死にそうになる夜勤の環境に行きましたが、それは自分で望み、選んだ道でした。
体力的には本当にキツかったわけですが、気持ち的にはとても充実した日々を過ごせていたのが実です。
- 経済的自由
- 人間関係の自由
- 働く場所と働く時間の自由
この3つの自由を得るために、周りの意見に流されることなく決断ができたことが今の私を作ってくれたと今振り返ると強く感じます。